ステラマッカートニー(STELLA McCARTNEY)

Stella McCartney ステラ・マッカートニー England


ステラマッカートニーは1971年9月13日、元ビートルズ
The BEATLES)のメンバーだったポールマッカートニー
Paul McCARTNEY)とリンダマッカートニー
(Linda McCartney、旧姓Linda Eastman)の次女として
ロンドンに生まれる
(リンダにはステラの前に前夫との間に生まれた女の子が一人いて
後にポールが養女としました。
このため、資料によっては三女と記載されているものもあります)。

両親は彼女に厳しいしつけを与え、ステラは、あえて
サセックスの地元の州立学校で教育を受ける。
彼女は欲しい服を買うために地元のレストランで皿洗いの
アルバイトをしたという。

12歳で、初めてジャケットをデザイン。
15歳で、クリスチャン・ラクロワの最初のクチュールコレクション
の仕事をし、その後、サビル・ローで修行を積む。


1995年、ロンドンのセント・マーティン
(St Martins College of Art & Design)卒業コレクションで
モデルに友人であるナオミ・キャンベルケイト・モスを起用。
彼女の両親の名声もあり、一躍脚光を浴びる。
彼女のコレクションはロンドンの有名セレクトショップ
トキオ(Tokio)によって買い占められ、自らのブランドを開始。
彼女のデザインは、パッツィ・ケンジット、ケイト・モスらが
すぐに着用するようになる。


1997年3月、カール・ラガーフェルドの後継者として
フランスのクチュールブランド
クロエのチーフ・デザイナーに指名される。
当初、この指名はクロエを所有するヴァンドームグループ
(現・リシュモン)の宣伝戦略と見られていた。
事実、カール・ラガーフェルドは、独特の言い回しで
彼女を「Tシャツデザイナー」と呼んだ。
しかし、1997年10月にパリで披露された彼女の最初のコレクションは
センセーショナルかつロマンティックで
魅力的にに仕上げられたレイシー・ペチコート・スカート
確かな技術に裏付けられたテーラーリング
70年代風な微妙なカシミアのトラウザースーツを見事に
90年代風に仕立て上げた、すばらしいコレクションで
彼女の才能についての疑いを払拭した。
次のシーズンには、彼女の功績はクロエに再び脚光を浴びせただけでなく
利益も上昇。ステラはクロエの売上げ高を500パーセント増加させた。


1998年4月、彼女の母親リンダが乳がんで亡くなったこともあり
リンダの影響を受けたステラは動物愛護活動に
熱心に取り組むようになる。
PeTA (People for the Ethical Treatment of Animals)と協力して
毛皮流行週間の1か月後、動物愛護のビデオをリリース。
2000年、ステラは彼女を「Stelly」と呼ぶマドンナの
ウェディングドレスをデザイン。


2000年4月、クロエとの契約を更新。
このとき、グッチがYSLを買収したことに伴い
トム・フォードがYSLのデザイナーに移籍し
後任にステラを抜擢するとの噂が流れたが
革製品が重要なアイテムとなるグッチでの仕事を彼女は断り
あえてグッチよりも低いオファーのクロエを選んだという。
2000年、VH1アワードおよび
ヴォーグ・ファッション・アンド・ミュージック・デザイナー・オブ・ザ・イアー受賞。


2001年3月、グッチはグローバルなラグジュアリーブランドとして
ステラの名を冠したブランドを開始すると発表。
ステラはグッチとのパ−トナーシップの下
彼女のラベル「Stella McCartney」をスタートさせる。
クロエの後任はステラの右腕として働いていた
フィービー・フィロー(Phoebe Philo)が就任した。

この背景には、ステラと兄妹のように親しいトム・フォードがやはり
彼女の才能を捨て切れなかったことと
クロエから見ても毛皮は重要なアイテムであり
このことでクロエ上層部とステラがもめたと噂されている。


ステラ・マッカートニーのデビュー・コレクションは
2001年10月の2002春夏パリコレクションで披露された。
2001年8月ステラが「Wallpaper」マガジンの発行者で
グッチ好きで知られるアラスデア・ウィリス(Alasdhair Willis)
とデートし始めたことが報道される。


2002年8月30日、かねてから噂のあったウィリスと
スコットランドのビュート島で結婚。
結婚式には、母親リンダが着用したウェディングドレスを基に
彼女とトム・フォードが共同でデザインしたドレスを着用。
式にはマドンナ夫妻、リブ・タイラー、プリテンダーズのボーカルの
クリッシー・ハインド、コールドプレイのクリス・マーティン
ケイト・モスグウィネス・パルトローピアース・ブロスナンらが
出席した。
2003年9月、バラの香りをベースにした初の香水「ステラ」を発売。
同年同月、ロサンゼルス・ハリウッドにショップをオープン。


2005年春からはアディダスと提携し
女性のためのスポーツウェアライン
Adidas by Stella McCartney
アディダス・バイ・ステラ・マッカートニー)」をスタートさせる。
新ラインは、ランニングシューズやウェア、フィットネスウェア
水着などで構成され、2005年2月から発売される。
「女性にとっては、スポーツもスタイルもどちらも大切です。
なぜ私たちは
どちらか1つを犠牲にしなければならなかったのでしょう?」とステラ。
アディダスによれば、これは長期にわたるコラボレートの始まりであり
今後すべてのスポーツ分野に展開していく予定だという。
2005秋冬には新たにノルディックウォーキング
(ヨーロッパでスキーやバイアスロンの選手が夏のトレーニングとして
採用したエクササイズの一つ。
ヨーロッパで新たなフィットネススポーツとして普及している)と
登山ウェアを追加した。
2006春夏にはテニス
2006秋冬にはスノボなどウィンタースポーツを加えた。


2005年には、2004秋のカール・ラガーフェルドに続き
H&Mとコラボレーション。
ステラはアンダーウェアからアクセサリーまで40のアイテムをデザイン。
ステラは、「H&Mのためにデザインすることが
私の服を多くの女性に紹介する最も刺激的で革新的な
方法だと思いました」とのコメントを発表。
H&Mのデザイン・ディレクター、Margareta Van den Bosch
「私たちはステラをカール・ラガーフェルドの続きと
見なしたくありませんでした。私たちは完全に異なるものが
ほしかったのです。それは、とてもフェミニンで、ソフトカラー
そしてとてもスウィートです」と語った。


2006年2月には初のアクセサリーフルコレクションを発表。
上質でカラフルな、バッグ、財布、ラゲッジ、シューズ、ベルト
ジュエリーで、アクセサリーラインはすべてイタリア製。
素材はナイロン、天然繊維、ビーズなどで革は使用されていない。
コレクションは6月からステラ・マッカートニーの旗艦店
などで販売される。小売価格は、95ドルから1595ドル。
バックは195ドルから1395ドルで9ラインあり
それぞれAppaloosa、Dartmoor、Morgan、Brumby、Palomino
Mustang、Falabella、Pinto、Golborneと名づけられた。
「バッグは靴、コート、ドレスと同じくらい重要です。
女性は彼女自身を表現するためにバッグを使います」。
しかし、ロゴは真鍮のメダルに使われるぐらいで
「私の顧客はロゴを見せびらかすようなことは好きではないと思います」
とマッカートニー。


2007年アメリカのチェーン店「ターゲット(TARGET)」の
オーストラリア社とコラボレートし
「ステラ・マッカートニー・フォー・ターゲット(STELLA McCARTNEY for Target)」を展開。
2008 S/S よりベンドン(Bendon)とコラボレートした
ランジェリーコレクションを発表。
2008 S/S にはノティファイ(Notify)のコレクションで
コラボレートジーンズを手掛けた。
2008年、レスポートサックLeSportsac)とコラボレートし
「ステラ・マッカートニー・フォー・レスポートサック
(Stella McCartney for LeSportsac)」を発表。
ステラ・マッカートニーの主義を忠実に反映する意味で環境と女性に
配慮し、素材は再生ポリエステルを用い
トリム等にはフェイクレザーを用いている。商品型数は20型。


2008年10月31日東京・青山に日本初の路面店をオープン。
総売場面積は約205平方メートル。
2009年、パリ初の直営店をオープン。
総売場面積は約150平方メートル。


2009年6月、 ステラ・マッカートニーはギャップとコラボレートし
GapKidsとbabyGapの新コレクションで
初の子供服をデザインすると発表。
新ラインは11月から開始され、米国・カナダ・英国・フランス
アイルランド・日本の限定店で発売される。


「何年も、私は子供のためのコレクションを
作成したいと考えていました。このコラボは顧客が
ステラ・マッカートニー・ブランドに参加することができる
素晴らしい機会になるだろうと思います。


彼女は厳密な菜食主義者で、毛皮を用いた仕事をすることを拒否。
フレグランスでさえ、すべて自然な成分が使われているという。
トム・フォードは、ステラを「彼女は、成功するための条件
強い意志とインテリジェンスを持っている。
また、彼女はグレート・スタイル、テーストを持っている」と語る。


イギリス、サヴィル・ロー仕立てのしっかりとした
技術と独特のストリート感覚あふれるガーリーな
フェミニンスタイルが彼女の持ち味。
一方で、半永久的に彼女は父親の名声の呪縛から解き離れない
という宿命も持ちます。
今でも彼女の成功は「父親のおかげ」
「ステラを取り込んだのはグッチ・グループの失敗だった」
との声があります。もし、彼女がポールの娘でなかったら
若くしてここまでの名声は持ちえなかったでしょう。
しかし、デビューからクロエ、現在の自らの名前を冠したブランドを
客観的に見れば、彼女がポールの娘でなかったとしても
歴史に残るデザイナーだと思います。
彼女はこれから長い時間をかけて
それを証明していかなければなりません。


10SS COLLECTION

カラフル&ハッピーなムード満載 フェミニティ全開のコレクション
トレイ・スピーグル作の『YES』の文字が入った大きな絵を
ランウェイ正面に飾り、オプティミスティックな姿勢を表現した
「ステラ・マッカートニー」。
その絵にも負けず、コレクションも華やかで
ロマンティックなエッセンスをモダンに昇華しながら
美しい色彩によって、元気でハッピーなフィーリングに満ちた
ルックの数々だった。
メンズライクなジャケットには
繊細なレースを施したランジェリーのようなインナーを合わせてみたり
シルクシャンタンのケープやジャンプスーツなど
ステラらしさあふれるコレクションとなった。
後半に登場したヴィヴィットカラーのドレスは
大きなラフルを描き、その美しさと迫力で観客席を圧倒した。