コムデギャルソン(COMME des GARCONS)

コムデギャルソンは1973年に川久保玲が設立。


川久保玲(Rei Kawakubo)、1942年東京生まれ。慶応大学卒業。
旭化成に入社し、繊維宣伝部でスタイリストを経験。
その後フリーランスの活動を経て、73年、コムデギャルソンを設立。
レディースウェアの製造販売を開始。
コム・デ・ギャルソンの由来はフランス語で「少年のように」
川久保は、ファッションの正規教育を受けていない。


75年、東京コレクション初参加。
78年に「コムデギャルソン オム(COMME des GARCONS HOMME)」
がスタート。
コムデギャルソのスタイルは、社会に流されることのない
自立した女性像をデザインに落とし込んだもので
従来型の女性らしさのない、ルーズなシルエットに黒などモノトーンな
色を多様、孤高の女性を描いた。


また顧客向けにビジュアル誌を発行するなど
顧客とのコミュニケーションも独特で、広告や写真に登場するモデルは
カメラを睨み付けるような表情だった。
コムデギャルソンはこのようなスタイルから
一部から熱狂的な支持を得て
80年代には、黒の服に、おかっぱ頭の女性が街中を歩き
カラス族」と言われるスタイルを生み出した。


日本で成功をおさめると、当時パートナーだった
山本耀司(ヨウジ・ヤマモト)とパリに渡り
81年にパリ プレタポルテ・コレクションにデビュー。
それ以来、パリを中心としてコレクションを展開している。


パリでの最初のコレクションはセンセーショナルで、賛否両論。
服飾の既成概念を崩したアバンギャルドで斬新な表現手法は
「広島シック」「黒の衝撃」と言われ批判を受けたが
アバンギャルドかつクラッシックなスタイルは徐々に
クリエイティブな若手デザイナーから受け入れられていった。


こうしてヨウジ・ヤマモトとともに「ボロルック」と呼ばれる
黒を主体とした独特のファッションで、独自の世界を作り上げていった。


コムデギャルソンは山本耀司三宅一生(イッセイ ミヤケ)らと並び
世界から注目を集め、80年代のDCブランドブームを引っ張り
国内外で地位を確立した。


84年「コムデギャルソン オムプリュス(COMME des GARCONS HOMME PLUS)」がスタート。
87年ビジネススーツラインの「コム・デ・ギャルソン オムドゥ
(COMME des GARCONS HOMME DEUX)」がスタート。
88年シャツライン、「コム・デ・ギャルソン シャツ
(COMME des GARCONS SHIRT)」がスタート。
その他、ジュンヤワタナベ・コムデギャルソンなども展開する。


90年代、「黒」が世界的に使用されるようになると
色彩を代えて「赤」などカラフルな色を前面に打ち出すなど
他ブランドとは一線を引いたファッションを展開した。

97年「こぶ」が着いたようなこぶドレスを発表。
輪郭を隠す服から、体の肉やこぶ自体が一つの身体かのような
デザインを提案して話題となる。
コムデギャルソンは業界内に多くの支持者を抱え
ビジネス的にもある程度の成功を収める(年商は約150億)が
それでもアルマーニなど帝国を築くには至らなかった。
それは強い個性、革新性、前衛性を求め続けるスタイルによるもので
流行やスタイリッシュな実用性とは距離を置いている点に理由がある。


ブランドとしてコラボレーションも積極的に行い
97年、グローブ・トロッター
2000年以降も、アズディン・アライアフレッドペリー(FRED PERRY)
コレット(セレクトショップ)などコレクションを発表したり
限定ショップを開いた。


2005A/W より、タオ・コム・デ・ギャルソン
(TAO COMME des GARCONS)をスタート。


2008年、H&Mとデザイナーコラボレーションが決定。
2008年9月4日、ルイ・ヴィトンとコラボレーションで
東京・南青山に期間限定ショップ
「ルイヴィトン・アット・コムデギャルソン」をオープンする。


コムデギャルソンのアバンギャルドで独特なファッションは
マルタン・マルジェラAFヴァンデヴォルストをはじめとする
アントワープ派のデザイナー
ジョン・ガリアーノヴィクター&ロルフ等の外国人デザイナー
にも大きな影響を与える。
世界でもっとも影響力のあるデザイナーランキングでは
川久保玲はトップ5の常連となっている

09/10FW COLLECTION