ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)

山本耀司Yohji Yamamoto)は1943年、東京都に生まれる。


1966年慶應義塾大学法学部卒業。1969年、文化服装学院デザイン科卒業。
1972年既製服部門として株式会社「ワイズ(Y'z)」を設立。
1977年東京コレクションにデビュー。
1981年パリプレタポルテ・コレクションにデビュー。
1986年第4回毎日ファッション大賞を受賞。
1988年株式会社ヨウジデザイン研究所を設立。
以降、主にパリを拠点にコレクションを展開。
1994年第12回毎日ファッション大賞を受賞。
ヨウジヤマモト」の名で世界的な評価も高く
あのカール・ラガーフェルドKarl LAGERFELD)とも
巧みな英語を使いまわして対等に話す。
80年代前半、川久保玲Rei KAWAKUBO)とともに服の既成概念を
廃した独特の表現手法で世界のデザイナーに多大な影響を与えた。


1992-1993 A/W より、アール(A.A.R)の創立と共に
同ブランドとのコラボレートをスタート。
2005-2006 A/W を最後に、コラボレートを解消。
2001年アディダスadidas)とコラボレートし
「ワイスリー(Y-3)」を発表。
2002年植原邦雄(Kunio UEHARA)と無印良品MUJI)の
チーフデザイナー契約を締結(同契約は2007年に解消)。
2002年7月パリオートクチュール・コレクション期間中にショーを行う。
同年、自身の軌跡を写真と文章で綴った「Talking to Myself」を発表。
03年同書籍がドイツのライプチッヒブックフェア
「世界で最も美しい本展」でブロンズ賞を受賞。
2003年12月20日東京・六本木にワイズ初の旗艦店をオープン。
2004年4月28日学術・芸術・スポーツ分野を対象にした褒章である
紫綬褒章を受章。
2004年12月21日文化・経済などの分野での重要な業績を
評価して贈られるイタリア・トスカーナ州における最高の栄誉である
「銀の旗賞」を受章。
2005年6月5日イタリアのフィレンツェにあるショッピングモール
「ザ・モール」に、ヨウジヤマモトとして国内外問わず
初のアウトレットショップを出店。
同月末、アメリカでのビジネスを確立するため
ニューヨークにショールームをオープン。
2005年フランス政府から
「国家功労勲章(Officier Ordre National du Mérite)」を授与される。


2005-2006 A/W より、アクセサリーラインである
「Yデザイン」をスタート。
2006 S/S より、メンズウェアテーラードラインである
「ワイ(Y)」をスタート。
イタリアのファクトリーブランドをイメージしたラインで
マッキントッシュ(MACKINTOSH)とコラボレートした
トレンチコートやコルテ(Corthay)とコラボレートしたスペシャルモデル
の靴である「ピエール・コルテ・フォー・ヨウジヤマモト(Pierre Corthay for Yohji Yamamoto」等も発表。


2006年9月1日株式会社ヨウジヤマモトの一部株式を保有する持株会社
である株式会社エフ・ワイと販売員所属会社である
株式会社ワイズを吸収合併。
同時に、リミフゥLIMI feu)事業を分社化し
株式会社リミヤマモトを設立。
  

2006-2007 A/W より、「ワイズ・レッドレーベル(Y's RED LABEL)」
をスタート。
デザイナーは鈴木道子(Michiko SUZUKI)。
鈴木道子は2000年に文化服装学院を卒業。
2005年まで、ヨウジヤマモト プリュス・ノアール
YOHJI YAMAMOTO + NOIR)やワイズでパタンナーを担当。
2007年11月より、ミキモトMIKIMOTO)との共同開発による
ジュエリーコレクションを展開。
コレクションのタイトルは「ストーミー・ウェザー」であり
「ムーン」、「ドロップス」、「ルクリ」の 3ラインがある。


2008-2009 A/W には、エルメスHERMES)とコラボレートした
ショルダーバッグを発表。
同バッグはエルメスから「ヨウジ(Yohji)」というモデルで
発売される予定。
アンドロジナス、殊に女性を男化させることをテーマとする。
特に日本では熱狂的且つ信徒的なファンが数多く存在する
カリスマデザイナーである。
  

2008年1月イタリアのアパレルメーカーであるシンヴ(SINV)社と提携し
新ブランド「カミングスーン(COMING SOON)」をパリで発表。
ブランドコンセプトは、トレンドに左右されないシンプルでタイムレスな
「スーパーカジュアル・コンテンポラリーブランド」。


2008年2月、Y-3 初のニューヨーク旗艦店をオープン。
2008 S/S には、サングラスライン「プロトタイプ」を発表。
生産はリンダ・ファーロー。
2008年11月、フランス・パリのカンボン通りに旗艦店をオープン。
ショップコンセプトは「ホワイトボックス」。
総売場面積は約600平方メートル。
2009年5月アメリカのニューヨーク・ソーホーにワイズ・マンダリーナと
カミングスーンの期間限定の複合実験店舗をオープン。
総売場面積は約210平方メートル。
2009-2010 A/W より、63年5月22日設立の三崎商事株式会社
(MISAKI SHOJI Co., Ltd.)がカミングスーンの独占輸入販売権を取得。
2009-2010 A/W を最後に、ワイズ・レッドレーベルを休止。
これに伴い、鈴木道子も退社。
2010 S/S から 2014年まで、サムソナイト(Samsonite)と
ライセンス契約を締結し、Y-3 のバッグや旅行用品等を展開。


また、コレクション発表だけでなく、「BROTHER」や「Dolls
座頭市」等の北野武監督作品の映画衣装等も手掛けた。
  

さらに、ヨウジヤマモト及びワイズにて上記以外にもモンクレール(MONCLER)、マジックウォッシュ(前スポテッドホースクラフト)
ダイネーゼ(DAINESE)、ビルケンシュトックBIRKENSTOCK
ヒロムタカハラ(HIROMU TAKAHARA)、ヨシコクリエーションパリズ(YOSHiKO CREATiON PARiS)
マンダリナダック(MANDARINA DUCK)
小澄源太(Genta KOSUMI)等とコラボレートしたアイテムも発表する等
活動は幅広い。


ヨウジ・ヤマモトは、川久保玲とともに、服の既成概念を廃した
独特の表現手法で世界のデザイナーに「衝撃」を与えた。
フランスに渡った当初は、モデルの顔を白く塗り
奇妙な黒い服を着せて電子音の鼓動の中を歩かせたこともあり賛否両論。
「広島シック」と批判も受けましたが、アバンギャルドかつ
クラッシックなスタイルは、徐々にクリエイティブな若手デザイナーから
受け入れられていき、80年代以降、世界を代表するデザイナーへと
なっていきます。
実際、マルタン・マルジェラドリス・ヴァン・ノッテン
弟子だったエンニョ・カパサ(コスチューム・ナショナル)
ロエンの高原啓等に多大な影響を与えた。


09/10FW COLLECTION
赤と黒で女性の二面性を表現