グッチ(GUCCI)

1921年に創立したイタリアのアパレルブランド。
創立者グッチオ・グッチ(Guccio GUCCI)。


グッチオ・グッチ1881年、イタリアのフィレンツェに生まれる。
1921年イタリアのフィレンツェにショップをオープン。


ブランドコンセプトは「最上の伝統を最上の品質で
しかも過去の良いものを現代に反映させる商品作り」。
品質保証をするために、世界で初めてデザイナーであるグッチの
名前を入れて商品を販売。
ブランド商品の元祖となる。グッチオ・グッチの考案した
自らの頭文字をあしらった「ダブルG」のモノグラム
あまりにも有名である。
  

1953年、グッチオ・グッチが死去。
グッチ社はその後、グッチ家の手を離れて人手に渡っている。
グッチ家の手を離れた後のグッチグループN.V.の社長兼最高責任者は
ドメニコ・デ・ソーレが務めた。
ドメニコ・デ・ソーレ及び当時クリエイティヴ・ディレクターを
務めたトム・フォード(TOM FORD)は
その後のグッチの急速な再建の立役者となった。
特に、ドメニコ・デ・ソーレは
イヴ・サンローランYves Saint Laurent)を買収したり
セルジオ・ロッシ(sergio rossi)を買収したりと大活躍であった。


1999年、東京・青山にグッチ青山をオープン。
2001年、ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)を買収。
2003年、数年に渡る大活躍の末
ドメニコ・デ・ソーレとトム・フォードが共に辞任。
2004年5月より、英蘭ユニリーバ(Unilever)の冷凍食品部門
のトップを務めたロバート・ポレットが社長兼最高責任者を務める。


そして、トム・フォードの後任として、レディースウェアラインの
クリエイティヴ・ディレクターに、トム・フォードの片腕だった
といわれるアレッサンドラ・ファキネッティ
(Alessandra FACCHINETTI)が就任。
尚、メンズウェアラインはジョン・レイが
アクセサリーラインはフリーダ・ジャンニーニ(Frida GIANNINI)が
担当していた。


2005年3月、アレッサンドラ・ファキネッティが方針を巡る意見の
相違を理由にレディースウェアラインの
クリエイティヴ・ディレクターを辞任。
後任にフリーダ・ジャンニーニが就任。
2006年2月、「個人的な理由」でジョン・レイが
メンズウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターを辞任。
後任にフリーダ・ジャンニーニが就任。


フリーダ・ジャンニーニは72年、イタリアのローマに生まれる。
鼻筋の通った、色白でブラウンの長髪の美しい女性。
ローマのファッション・アカデミーで学ぶ。
97年、フェンディに入り、ウェアやレザーグッズのデザインを担当。
2002年にハンドバッグのデザインディレクターとしてグッチに入社。
2004年、アクセサリー・クリエイティヴ・ディレクターに就任し
バッグ、シューズ、時計、ジュエリー等のデザインを統括。
2005年3月、レディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクター
に就任。アクセサリー部門も兼任。
2006年2月、メンズウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに就任。
レディースウェアライン、メンズウェアライン、アクセサリーの
クリエイティヴ・ディレクターを兼任するに至る。


2006年6月30日、株式会社リステアホールディングスとの
共同出資会社である「バレンシアガ・ジャパン」を設立。
2008年1月15日、株式会社リステアホールディングスから
バレンシアガ・ジャパンの全株式の譲渡を受け
バレンシアガ・ジャパンはグッチグループの全額出資会社となった。


2006年11月3日、東京・銀座にグッチ銀座をオープン。
地上8階、地下1階の9層に店舗やカスタマーサービス
ギャラリースペースやカフェ等を併設。
延床面積は3,283平方メートルで
グッチがビルを建設するのは初めてとなる。
2007年9月15日、グッチ青山を増床リニューアルオープン。
総売場面積は約932平方メートル。
2009 S/S には、レディース・フレグランス
「フローラ・バイ・グッチ」を発表。


現在、グッチグループは PPR
(旧ピノー・プランタン・ルドゥート、Pinault-Printemps-Redoute)
のグループ企業である。


GUCCI 09/10FW COLLECTION
80sのグラマラスなディスコスタイル。グラムロックの世界。