ココ・シャネル(Coco Chanel)

20世紀を代表する女性デザイナー、ココ・シャネル(Coco Chanel)は
1883年、フランスのオーベルニュー地方に誕生した。
本名は、ガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)。
幼少時代に母親が他界し、孤児院や修道院などで育つ。


孤児院を出た後、お針子の仕事に就いたが芸能界に憧れる気持ちが強く
一時は歌手を志した。彼女がファッションの世界に入ったのは、
当時交際していた資産家の将校エチエンヌ・バルサンがきっかけだった。
彼や彼をとりまく影響力のある人物に後押しされ
1909年、マルゼルブ大通りで帽子のアトリエを開業する。


10年には、パリのカンボン通り21番地に帽子専門店
「シャネル・モード」を開店。
エチエンヌ・バルサンと別れた後
イギリス人青年実業家アーサー・カペルと交際し始めたが
カンボン通りの店の開設資金はカペルが援助した。


14年、第一次世界大戦が勃発。
15年、フランス南西部ビアリッツに「メゾン・ド・クチュール」をオープン。
21年、パリのカンボン通りの店を31番地に拡張し
ベストセラーとなる香水「No.5」を発表する。
また、この頃ミシア・セールという人物が主宰するサロンを通じて
ジャン・コクトーパブロ・ピカソイーゴリ・ストラヴィンスキー
芸術家との交流を持つ。


24年、恋人のウェストミンスター公爵からプレゼントされた
宝石類に着想を得た、イミテーションパールのアクセサリーを発表。
その後、ビジネスは順調に成長していたが
シャネルの下で働く労働者のストライキに遭い
一部店舗を残してビジネスを閉鎖。
以降、第二次世界大戦中と戦後のスイス亡命期の約15年間にわたり
フランスのファッション界で沈黙を守った。


スイスからパリに戻り、54年、フランスのファッション界にカムバック。
カムバック後は、クリスチャン・ディオールらが活躍していた
ヨーロッパよりも、ウーマンリブ全盛期のアメリカで、シャネルの開放的なスタイルが受け入れられたようである。


1971年、自宅にしていたホテル・リッツにて死去。
ココ・シャネルの名言「ファッションは色あせるが
スタイルはいつまでも変わらない」の通り
彼女が考案したリトル・ブラックドレスやコスチュームジュエリー
カフス使いなどは、今でも度々引用されている。