パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の名前は23語

彼の洗礼名は

「パブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ

"Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Martyr Patricio Clito Ruíz y Picasso"

と言います。
各聖人たちや親戚の名を盛り込まれてこんなに長くなったそうですが
知られているピカソというのは母方から来た名前です。


2生まれたときは助産婦に死産と思われた

ピカソは大変な難産だったそうで、さらにピカソが弱々しかったために
助産婦は死産と思いピカソをテーブルに放置して
ピカソの母親の介護に当たっていたそうです。

このとき助けてくれたのが、医師であった叔父のドン・サルバドール氏
だそうで、そのエピソードはピカソが子供時代に何度も聞かされたそうです。

当時は大きな葉巻を医師が当たり前に吸っており
この叔父がピカソの顔に煙を吹きかけると
ピカソが反応したということだそうです。


ピカソが最初に発した言葉は「えんぴつ」であった

画家になるために生まれてきたようなエピソードですが
スペイン語で鉛筆のことを"lápiz"といい、短縮形の"piz"というのが
彼の最初に発した言葉だったそうです。

芸術家であり、芸術の先生だった父親のルイスは
ピカソが7歳になったときから芸術の教育を施したと言われています。
ピカソが13歳になる頃には追い越されたと父親自身が思い
描くことをあきらめたそうです。


ピカソの最初の作品は9歳のときに仕上げた"Le Picador"である


この闘牛場で馬に乗る男を描いたのはたった9歳のときです。
9歳とはとても思えない馬の捉え方など、天才の片鱗がうかがえます。


ピカソはひどい生徒だった

5、6年も年上だったクラスメートよりさらに数年進んでいたなど
ピカソが芸術的に優秀だったのは間違いはありませんが
彼は指導されることを好まず
先生から処罰を受けることも度々ありました。

そのときの様子をピカソはこう伝えています。
「問題児として真っ白な壁に囲まれたベンチが一つあるだけの
処罰室によく送られたが、そこが大好きだった。
スケッチブックを持っていって延々と絵を描いた。
手を止めることなく、そこにずっといることができた。」


ピカソの最初の仕事はパリの画商との契約であった

最初の契約は画商のPere Menach氏と
月収150フランク(現在の約75000円)だったと言われています。


ピカソモナリザを盗んでいない

1911年にルーブル美術館からモナリザが盗まれたとき
警察はピカソの友人であり詩人のギョーム・アポリネール
犯人として逮捕しましたが、彼が容疑者としてピカソの名を
上げたのがきっかけでピカソまで逮捕されてしまったのです。
一週間後に二人は釈放されています。


キュビスムは小さなたくさんの立方体から名づけられた

1909年にピカソとフランスの画家のジョルジュ・ブラック
創始したキュビスムは同じくフランスの批評家ルイ・ボークセル
(Louis Vauxcelles)が名づけたもので
彼が「立方体(キューブ)以外の何でもないと」と
批判したところから来ています。


ピカソはプレイボーイであった

・フェルナンデ・オリヴィエ(Fernande Olivier)
ピカソの最初の恋人と言われる。彼女が18歳、ピカソが23歳のとき

エヴァことマイセル・アンベール(Marcelle Humbert)
彼女が27歳、ピカソ31歳のとき

・ギャビー・レスピナッセ(Gaby Lespinasse)
エヴァの病中に知り合った

・オルガ・コクローヴァ(Olga Khokhlova)
最初の妻で、オルガが26歳、ピカソが36歳のときに出会う。
2人の間にはパウロという息子が生まれる

・マリー・テレーズ・ワルテル(Marie-Thérèse Walter)
マリーが17歳、ピカソが46歳のときの愛人関係で
二人の間にはマイアという娘が生まれる

・ドラ・マール(Dora Maar)ドラが29歳、ピカソが55歳の
ときに出会い愛人関係

・フランソワーズ・ジロー(Françoise Gilot)
フランソワーズが21歳、ピカソが61歳のときに出会う。
2人の間にクロードとパロマの2人の子供が生まれる

・ジェネヴィーヴィ・ラポルテ(Geneviève Laporte)
ジェネヴィーヴが20代半ば、ピカソが70代に愛人関係に

・ジャクリーヌ・ロック(Jacqueline Roque)
2人目の妻、ジャクリーヌが27歳、ピカソは79歳のときに出会う

ピカソの死後、マリーとジャクリーヌは自殺をしている。


10最も多作で最も作品総額の高い画家である


油絵と素描で13500点、版画で100000点
挿絵で34000点にも及び、最も多作な画家として
ギネスブックに載っています。
2004年のサザビーズの競売で、「パイプを持つ少年」
(Garçon à la pipe)は史上最高額の1億400万ドル
(当時の為替で約118億円)の値がつきました。