ジバンシー(GIVENCHY)の象徴=名女優オードリー・へプバーン

名女優オードリー・へプバーンとくれば「ローマの休日」。

初めて主演をして、アカデミー主演女優賞を獲得した映画。

1954年、オードリー・へプバーン主演の映画「麗しのサブリナ

の衣装をジバンシー(GIVENCHY)が手がける。

オードリー・へプバーンの数々の主演作の衣装をジバンシー

手がけている。

オードリー・へプバーンとジバンシーとは公私ともに

親交が深かったらしい。確か、人から聞いた話だと

オードリーのお葬式にも参列したとか。

面白い話といえば、ジバンシーが最初にへプバーンの映画の

衣装を担当することが決まって、衣装をデザインしていると

アトリエに、オードリー・へプバーンが訪ねてきて

ジバンシーは驚いたそうです。

ジバンシーはてっきりへプバーンはへップバーンでも

当時もうすでに大女優だったキャサリン・へプバーンだと

思ってイメージしてデザインしていたからです。

でもジバンシーはオードリー・へプバーンを一目見て

創作意欲がわいたそうです。

ジバンシーについて少し書こうと思います。

ユベール・ド・ジバンシー(Hubert de Givenchy)。

1927年2月21日、パリ郊外のボーヴェ生まれ。

古い由緒ある貴族家系出身で父親は公爵の称号を持つ。

ロベール・ピゲ、ジャック・ファットのメゾンを経で修行を積み

エルザ・スキャパレリのモデリスト兼主任となる。

51年、24歳での初コレクションでは資金面の問題もあり

コットン素材のシンプルなドレスやブラウスを発表。

中でもシャツ地で作った開襟、ラッフル袖の「ベッティーナ・ブラウス」は

話題を呼ぶ。その斬新なアイデアとシャープな感性が絶賛され

「モードの神童」と呼ばれた。52年2月2日、ジバンシー社を創立。

54年、オードリー・ヘプバーン主演の映画「麗しのサブリナ」の

衣装を手がける。オードリー・ヘプバーンジバンシーの象徴。

女性の体のラインを美しく見せるディオールのニュールックとは

対照的で「自由」で体のラインを強調しないスタイル。

55年、「自由なライン」として発表したウエストもヒップもない

シュミーズ・ドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。

56年、レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。

62年に香水を発表。72年に男性用化粧品を発表。

1973年、メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY

(99年に「GIVENCHY」に改名)を発表。

87年LVMH社が香水関連の会社パルファム・ジバンシーを買収

翌年の88年にジバンシー(クチュール)を買収。

ユベール・ド・ジバンシーは名誉会長兼芸術部門の

責任者として創作活動に専念することになった。

95年、オートクチュール・コレクションを最後に引退。

後任にはジョン・ガリアーノが抜擢される。

96年、ガリアーノディオールのデザイナーに就任し

後任でアレキサンダー・マックイーンオートクチュール

プレタポルテの主任デザイナーに就任。

2000S/Sよりマックイーンはメンズラインも手がける。

彼の手腕により、ジバンシーが再び隆盛期を迎える。

しかし、これまでのジバンシー色はなくなり

マックイーンの色が強くなったことから、プレスからは

批判を受けることもあった。

マックイーン自身もジバンシーのデザイナーを

引き受けたことは失敗だったと語っている。

しかしマックイーンは自社株の大半をグッチグループに売却。

これを機にLVMHグループとの関係が悪化し

ジバンシーを離れることになった。

2001-2002A/Wより、ジュリアン・マクドナルドが

オートクチュールプレタポルテの4代目の主任デザイナーに就任。

ファーストコレクションはオードリー・ヘプバーンジバンシー

回顧展的な内容だった。

2003年12月、ジバンシーメンズウェアラインの

クリエイティヴ・ディレクターにオズワルド・ボーテングが就任。

(ボーテングは後に担当が代わり、コンサルタントになる)

2005-2006A/Wより、リカルド・ティッシが

レディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターを務める。

現在はリカルド・ティッシがメンズ・レディースともに手がける。

2008年、マドンナがワールドツアーにて

ジバンシーのドレスを着用して話題となる。