女優の高峰秀子さんが死去 「二十四の瞳」などの名女優

映画「二十四の瞳」など数多くの名作に出演し、日本映画の黄金期を支えた女優の高峰秀子(たかみね・ひでこ、本名・松山秀子=まつやま・ひでこ)さんが28日、肺がんで死去したことが31日、分かった。86歳。葬儀は近親者で済ませた。喪主は夫で映画監督、松山善三(まつやま・ぜんぞう)氏。

北海道函館市出身。5歳のときに松竹映画「母」の子役で銀幕デビュー。山本嘉次郎監督の「綴方(つづりかた)教室」などに出演。数多くの映画に天才子役として出演した。東宝などを経て25年からはフリーに。木下惠介監督、成瀬巳喜男(みきお)監督ら多くの名匠に師事し、日本初の長編カラー映画「カルメン故郷に帰る」をはじめ、「浮雲」「無法松の一生」「名もなく貧しく美しく」「乱れる」「流れる」など日本映画史に残る名作に相次いで主演。特に「二十四の瞳」(29年)と「喜びも悲しみも幾歳月」(32年)などは大ヒットし、国民的スターの地位を確立した。

“デコちゃん”の愛称で親しまれる一方、演技力は高く評価され、「乱れる」ではスイスのロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞に輝いた。30年に松山氏と結婚。その後も、映画やテレビドラマ、舞台でも活躍したが、54年の木下監督の映画「衝動殺人 息子よ」を最後に引退した。名文家としても知られ、エッセー「おいしい人間」「にんげん住所録」など数多くの著作を発表。「わたしの渡世日記」は日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

昨年10月下旬に体調を崩し、入院していたという。

映画評論家、白井佳夫氏の話「子役時代から出演作は多く、日本映画のシンボルのような人。天真爛漫(らんまん)なストリッパーを演じた『カルメン故郷に帰る』などの演技が心に残る。演技は一言で言えば自然体で、どんな監督の下でも変えることがなかった。女優が自分の職業であることを強く意識した人だった」


高峰秀子さんというと、もう本当の大女優だって沼田識史(現代美術家)氏に教えてもらいました。沼田識史(現代美術家)氏が選ぶ映画100選にも高峰秀子さん主演の『浮雲』と『カルメン故郷に帰る』が入っている。
また一人本物の俳優が亡くなって残念であります。